「貧困問題」とはそもそも何だろう?   ‐石田歩夢‐

PEPUPは重要な活動の一つとして「学習会」を定期的に行ってきました。学習会の目的は自分の中にある「もやもや」を、すっきり晴らすのではなく、むしろさらに大きくすることです。その広がった思考には、これまでの自分にはなかった新たな視点やものの見方があるはずです。その新たな視野や観点で世界を見るとまた違った捉え方ができます。それを生かして今後の学びや次の学習会に繋げていくことが、学習会の大きな目的です。ゆえに、PEPUPの学習会では答えのあるテーマは取り上げません。今回からテーマ別の学習会が始まりましたが、今回のテーマは「貧困」です。そもそも貧困とは何でしょうか。「お金がない」ということだけ?それだけではなく、もっと様々な視点から考えることができそうです。それぞれのメンバーが持つ「貧困」のイメージを話し合って広げていきました。「貧困」と聞いてまず出てきたイメージは、「お金がない」「生計を立てられない」などの金銭的貧しさでした。またそれゆえ物が十分に買えなかったり栄養が取れなかったりといった問題が出てきます。しかしさらに広げていくと別の貧困も出てきました。精神的に辛かったり苦しかったり、余裕がない状態にある人も「貧困」状態にあるといえないのか。そのように精神面、心の面で貧しさを抱えることは、経済的に苦しい人だけでなく、金銭面では余裕がある人にも起こり得る「貧困」だということです。それでは「心が貧しい」とはどのような状態なのでしょうか。それは例えば「人間関係が上手くいってない(質的にも量的にも)」であったりしますが、「そこにある美しさに気づかない」ということもあるようです。それは例えばまわりの自然の美しさのような、本来は見えるはずの世界の美しさに気づいていない状態があります。そのためには少なくとものベーシックインカムは必要だとの意見もありますが、しかしこれは自分の中でもその時の心情や感情に左右されるものであり、他者からの視点でしかない美しさを強要しているとも言えるため大分不安定な要素と言えそうです。また精神的貧しさには「満足感」が関わっているという意見もありました。お金がいくらあってもその現状や自分自身に満足していない状態であればそれこそが「貧困」ではないかということです。途上国と呼ばれる国に住む人達の間でも「足ることを知る」人間であればその人達は「貧困」とは呼ばないんじゃないか。すなわち「貧困」とは自分自身の価値観に対して満足していない状態のことであり、他者と比較するものではないのであれば、そこに他者の介入の余地はありません。するとわざわざ貧困問題を解決する必要もなくなり、問題として考える事自体がおかしく、「貧困」を主観的なものと考えているといつまでたっても解決できないのではないか、ということになります。確かに、アマゾン奥地のようなところに暮らしている部族などは自分らしく生活しているイメージがありますから、お金が無くても必ずしも彼らを「貧困」とは言えないような気がします。あえて「貧困問題」に介入を試みるのであれば、貧困(不満足)を感じていない人には支援をせず、貧困(不満足)を感じている人に対しては、その人の求めるものを与えると考えることができそうです。しかし先程の部族の例に見たように、お金が必要な場合とそうでない場合で一括にはできないでしょう。取り組む課題や貧困への支援は様々あり、それらの違いを考慮しなければならず、一つに「貧困解決」と決めることはできないでしょう。

 そしてさらにここで「貧困」と「貧しさ」について、言葉の違いから捉えていきましょう。「貧困」にはお金のイメージが真っ先に思いつきます。またそれを言い換えて「サービスを受けられない状況」とも言えそうです。例えば医療サービスで言うと、アメリカではイギリスよりお金を持っていないと同じサービスを受けられないということがあり、ここには「政府の存在」も絡んできそうです。このように「貧困」には金銭的や物質的乏しさというイメージがわきますが、しかし「貧しさ」にはもっと違ったイメージがあるような気がします。つまり「貧困」は人、または社会が作り出した概念であり、もともとは差異や分類はないのに言葉をつけることで顕在化したため、環境が異なれば貧困は変わってきたり、人によってもその捉え方は違ってきたりということが言えそうです。それをスタディツアーで訪問した農家さんに照らして考えてみましょう。農家の貧困を解決するためには、ある一定の収入を得ることではなく、彼らが貧困ではなくなりましたと自覚すればそれが貧困の解決になりうるのでしょうか。例えば農家の中にも、「学校には行かなくても良い」「三食なくても良い」という場合が考えられますが、私達が協力した人たちは豊かになっていき、その結果差ができてしまった事により不平等が生じてしまえば、それは「支援が罪になる」ことになるのではないでしょうか。フェアトレードも、取引しているところとしていないところで格差が生じてしまうために問題だと言われることもあります。しかし介入しないままでも格差は存在しているため、この場合格差を広げるとしても「誰かを助けること」が重要であり、また「誰を助けるか」ということが重要になってくるのではないでしょうか。ですが今まで見てきたように、世の中にはお金で測れない貧困もあるため機械的に決定するというわけにはいかないようです。PEPUPとして大事にしていきたい人たちというのは、貧困などの調査の平均値で入らない人たち、調査に溢れた人たち、実際に関係を結んで初めてわかる、声を上げたくても上げることのできない人たち、そういった人たちを対象に行動を起こしていきたいなということでした。

 

 今回の学習会で、私達が取り組んでいる「貧困問題」とはそもそも何なのか、誰を対象にしていくのか、どうやったら「解決」と言えるのか、といったことを話し合っていきました。今までの私達の活動の意義を振り返ることもでき、なお一層貧困問題やそれについての解決策、私達にできることを深く考えていこうと思いました。 (石田歩夢)