先月末に熊本であったフェアトレードタウン国際会議に参加してきた。25か国から約300人の集まった中規模程度の会議だった。そこには、世界初のフェアトレードタウン、英国Garstangという町で運動を推進した中心人物や、ブラジルでフェアトレードタウン運動を進めている人、国際フェアトレードタウン推進委員会メンバーなど多彩な顔ぶれが集まっていた。正直なところ、フェアトレード活動について議論をしているのだか、フェアトレードタウンについて論じているのか判然しないまま全体が進み少々のフラストレーションを感じた。とはいえ、様々な国の様々な人が集い、それぞれの経験を語り合うという場は、それだけで楽しいものであり、学び多きものであった。
 熊本市は2011年にフェアトレードタウン宣言をしている。日本で初、アジアでも初めての宣言で、世界ではちょうど1000番目だったそうである。今回のアジア初のフェアトレードタウン国際会議を招致した所以である。「フェアトレードタウン宣言」は議会での承認、首長つまり市長の同意を得るという手続きが必要であるためハードルはさほど低くない。70万都市熊本市がそこまでこきつけたのは市民団体、フェアトレードショップら、いわゆる草の根運動の努力の賜物である。賛辞を送りたい。
 そもそもフェアトレードタウンを宣言するには次のような基準を満たすことが求められる。
1、推進組織が存在していること
2、イベント開催、メディアの活用など運動を展開し、市民の啓発を行っていること
3、地元企業や団体(学校や市民組織)がフェアトレードに賛同し、フェアトレード製品を積極的に利用するとともに、フェアトレードの普及に努めていること
4、地産地消運動やまちづくり、環境活動、障がい者支援等のコミュニティ活動と連携しながら、地場生産者や店舗、産業の活性化、地域活性化に貢献していること 。
5、地域の店(商業施設)でフェアトレード産品を幅広く提供していること
6、自治体がフェアトレードを支持し普及につとめていること

 

 今回の会議で強く感じたのは、フェアトレード活動が以前に比べて消費者の住む地域のつながりや活性化を重視する傾向が強くなっている点である。
 もともとフェアトレードは先進国の消費者が途上国貧困者の生産物を購入するという構図で始まった。今でもその基本構造は変わらない。それに加えて近年、消費者側のコミュニティの在り方を重視する観点がずいぶん強調されるようになってきていることを、今回の会議での各地、各団体の取り組み報告で感じた。フェアトレードとは直接関係しない地域の諸団体(NGO、企業、行政)と結びつくこと、できるだけ地元で生産している産物を購入すること、地域を良く知り活性化をはかること・・・。途上国貧困者のための始められた活動に、私たち消費者が自分自身の足元を知り、自らの活性化をはかろうという視点が加わり、焦点がすこしシフトしてきたわけである。これは喜ばしいことである。他者のための「一方的奉仕活動」はたいてい長続きせず、そこになんらかの自己利害を実感しうる要素が加わり相補的活動となったほうが活動は定着をしやすいからである。お互いに得心のいく結果が得られることになる。フェアトレードタウン基準でさまざまな地域団体と協力をするという項目はそのことを象徴している。
 フェアトレード活動も新しい段階に入ってきたといえる。新しい段階には新しい課題があり新しい思考・戦略が必要となる。たとえば「地産地消」はそれ自体すばらしいことである。しかし、これまで取り組んできたフェアトレードと矛盾しないか。途上国貧困者によって生産された製品を何千キロと運んで先進国消費者に届ける。輸送コスト、環境負荷、購買側産業への影響を考えれば、それを「フェア」といえるのか。地産地消の哲学に反しないか。こうした反論が可能である。コーヒーなど日本で生産しないものなどは日本の産業や業者の利害と対立しない、と。しかし、多くの人がコーヒーを飲めば日本茶の需要が減る、バナナを食すればリンゴを買い控える、というのが消費者の現実である。フェアトレードであっても、類似の製品が日本の市場に出回れば、日本の生産者は何らかの影響を受けざるをえない。逆に途上国の生産者にとっても生産物をはるか遠くの先進国市場で販売することは魅力的である一方で、生産物の売れ行き、さらには自分らの生活が先進国市況に左右されることを意味する。実際、欧州経済危機によってフェアトレード需要は落ちこみ、困り果てた生産者が出たという現実もある。
 あたらしい段階に入った活動に関わる新しい課題や矛盾を一つ一つ取り出して、じっくりと、そして実践的に考えていくことが大切なのだろう。  

 

2014.4