「モノを買う」ってどういうことでしょうか。
ある女子学生(A)がバイトの給料で新しいアクセサリーを買ったと言いました。
ある男子学生(B)がそれに対して「どうしてそのアクセサリーを買おうと思ったのか?なぜそれを選んだのか?」と聞きました。
A)「どうしてって、、バイトで頑張った自分へのご褒美としてで、それにかわいかったからだよ!」
B)「でもどうしてそれを選んだの??そのモノ自身よりもその記号をかったんじゃないの?」
A)「???。 純粋に自分が欲しいと思ったから買ったの!」
B)「でもそれを付けている自分と同時に”周りにどう見られるか”って意識したでしょ?」
A)「そりゃそうでしょ、モノを買うときってそんなもんでしょ?」
案外私たちがモノを買うとき、純粋に自分の内だけでモノを買う、ということは少ないです。
知らぬ間に、かわいいと言われる状況を意識して、SNSで挙げることを前提にして、流行や広告にあおられて、
モノを買っていることが多々あります。
単なる川辺の石に価値はありません。
しかしAさんが、志望大学に合格したその日に、その石を偶然見かけたとき
なんだか特別な価値があるように思えてお家へもって帰りました。
この時はおそらく自分の内からモノを欲しいと思った瞬間でしょう。
しかしこの素敵な石を友達にも見せたところ、だれも興味を示しません。(当然ですが。)
次第にAさんはその石の魅力を感じなくなってしまい、石を捨てて
代わりにかわいいアクセサリーを買いました。
友達からは「それかわいいね」と言われ、なんだか買った時よりもいっそうそのアクセサリーが好きになりました。
上の例では、いかに私たちが周りから影響をうけてモノを買っていたり、価値を決めていたりするかが
見て取れます。
SNSのある今日ではなおさら。
「写真を撮る」という行為も次第に変わっているように感じます。
もともとは思い出を保存しておくため、が主な理由だったでしょう。そこには他者に共有することよりも
自身で思い出を消費することのほうが今日より大きかったのではないかと思います。
しかし、今日のスマホでの写真撮影では、はなからSNSに挙げることを前提に撮ってはいないでしょうか。
そしてSNSに使えそうにない写真は消されていっているのではないでしょうか。
・あなたはどうですか!?!?
男の子は「自慢の彼女」という意識が、女の子にとっての「自慢の彼氏」意識よりも強いようです。
「この子は俺にとっての自慢の彼女だ」とは聞こえは良いようですが、
それは前提に他人に彼女を見せびらかすことが入っていないでしょうか。
よく”最近の若者”はSNSで彼女との写真を上げますね(笑)
あの行為はどういう意図があるのでしょうか。何があなたにSNSへの投稿をさせるのでしょうか?
結婚や出産といったおめでたい事を他者に知らせるため、とかではなく
やはり「自慢の彼女・彼氏」または「こんな俺・私」を他者に見て、消費されたいからではないでしょうか。
「お前の彼女見せろよ~」という男友達。
「いやあ、ちょっと、、、」と渋る男の子。もしかしたらそれは
他人から自分の彼女を評価されることを恐れているのでは!?!?
良いじゃないですか、よく言われようが悪く言われようが
あなたが彼女を選んだんじゃないですか~
あなたにとって彼女がかわいくて、好きであることが変わらなければいいはずでしょ?
もし他人から低評価だったら、彼女への思いは冷めてしまいますか??
(少し熱くなりました(笑))
”自分にとって”大切なものであるはずで、それさえ変わらなければよいはずですが
「自慢の彼女ではなくなった時」、「もっと良い彼女が見つかった時」、
この関係は終わってしまうのです。。。ここではまるで彼女は商品みたいではないですか??
あなたの彼女はアクセサリーではない、はず!!
今日の環境問題、とくにプラスチック問題を考えるときに
生活に必要な最低限のものさえあれば良いというミニマリストも出てきました。
無駄な消費、あおられる消費は控えるべきだという主張は少なくありません。
しかし、何が無駄で何が無駄ではないか、
一様にシンプルさやその機能性だけが線引きにはなりえないのが難しいところだと思いますし
それだけが解決手段ではないでしょう。
とはいえ、現代の大量生産、大量消費社会の中で
もう一度、モノを消費すること、そのものの意味をじっくり考えてみるのは良いでしょう。