今日はPEPUPの理学部数学科の二年生が、数学の定義の厳密さを追求する面と意外と厳密でない面とを挙げながら国際協力の分野においても漠然と分かっている気になっていることについて、再定義してみることの大切さを語ってくれました。
クイズということで、1/3+1/3+1/3=? という例題を挙げました。
さすがに大学生、答えは1だと咄嗟に答えます。
じゃあ、1/3=?と聞かれ、もちろん0.3333.....だとしたり顔で答えます。
あれ、そしたら先の方の1/3+1/3+1/3=0.999999.....になって、=1じゃないよね?と言われ、
「...確かに。」と。(笑)
意外と受験勉強のために習ってきたことって、こんな風に都合の良いようになっているんだよって指摘してくれました。
そして数学や勉強に限らず、私たちは生活のあらゆる点で、このような曖昧な認識の上で立っているとして
実際にそのあとは、「貧困」について改めて定義しなおしてみる試みをしてみました。
リップマンの「世論」という本では、
「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで定義をしてから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌の中からすでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。(世論<上>p111)」
として、私たちの定義(ステレオタイプ)について触れています。
そういえば、SDGs(持続可能な開発目標)も似たようなものかもしれません。
なんとなく普及されてきた「サスティナビリティ」や「ディベロップメント」という言葉について
私たちは漠然と良い印象を抱きます。
SDGs(持続可能な開発)=貧困の解決+環境の保全+経済成長+ジェンダー平等+健康+平和、、、、
と見れますが
私たちはその各々や、根本的に「持続可能な開発」そのものについて問うことをしているでしょうか。
私たちが新しい視点を得る、学びを得る、そして創造していくためにも
彼の言うように私たちはあらゆることについて常に、再定義しながら自らとその世界観をアップデートさせていくことが大切でしょう。
2020年 10月17日 髙松秀徒