「学生さんねえ。大丈夫?」ぺぱっぷは学生中心で活動を進めてきた。

これまで何度となく学生であることで信頼されなかったり、なかば軽くみられることがあり、悔しい思いも味わった。

 

 そもそも世間が学生を含めた若い者を見下すにはそれなりの理由がある。

知恵がない、経験がない、常識がない、責任をとらない、だらしない…。ないない尽くしの青二才。

いずれもごもっとも。

しかし若者にはそれらの欠点を上回る特長がたくさんある。

体力がある、時間がある、志がある、理想がある、豊かな発想がある、新しい感覚がある…。いずれも年を取るにつれて失われてしまうものである。

 

 新しい時代は若者によって作られる。

社会の仕組みや、人々の価値観を大きく変えてしまうような大転換はたいてい若者によってもたらされる。

80年代以降のアジアの民主化運動は学生や青年が主導した。

アラブの春も若い人々の活力から生まれた。

日本の幕末明治維新も多くは20代、30代の若い層によって担われた。社会運動ばかりではない。

世の中を革新してしまうような新しい技術はたいてい若い連中が生み出す。

ITの普及における学生ゲーツの功績は大きかった。

iPadの発想の萌芽はジョブズが学生のころにはすでに形成されている。

 

 若者の一番の強みは「柔軟さ」である。

柔軟であるがゆえに多くを吸収する、柔軟だからこそ理想をいだき志を立てられる、陋習にとらわれぬ柔軟さがあるからこそ現状に立ち向かって大胆に行動できる。

 

 現在の日本、そして世界は、大きな転換期にある。いま求められているのは若い力だ。

これからは今までにない全く新しい仕組みと対応が求められる。

従来通りの発想ややり方は通用しなくなる。

柔軟な発想でそれらを乗り越え新しいものを創り出していくより仕方ない。若者の出番である。

 

 しかし、若者がなんでもかんでも勝手気ままに行動すればよいわけでは決してない。

世間の若者に対するないないづくしの評価は間違ってはいまい。

真摯に受け止めなければいけない。

学生は、社会の一員としての自覚を持ち責任を持たなければならない。

学生だから許される部分に甘んじることなく、場面によっては常識的な振る舞いもしなければならない。合点のいかぬ「常識」は山ほどある。

しかしそれはそれとして知ったうえで打ち破っていかなければならない。

中世から近代への橋渡しをした織田信長は宗教権威を自ら信じるところは微塵もなかったが、一方で比叡山の徹底焼き討ちをし、一方で耶蘇会を保護して利用しつつ、自身を「神」に仕立てようとした。

 

 新しいクリエイティブな発想を形にするためには「学び」が重要である。

点をつけてもらったり他人から評価を受けるための学びではなく、発想するための学びであり、世の中に役立てる学びである。そのためには何が必要か。

 

 第一に「情報」である。実際世の中で何が起きているのかを事実として知ることである。

世界の動きを知らずして自分の頭の中でだけ考えることは虚しいし、さらに言えば危険である。

現実と乖離してしまうからである。

情報をとるには、よい情報源を確保することである。

近年はネットが発達しているので世界の出来事を瞬時に取得できる。質の高い情報も入手可能だ。

しかしネット情報というのは偏奇を生みやすい。

つまり得たい情報、直接関連した情報のみ入手する傾向に陥り、それで満足しがちとなる。

新聞はページをめくり見出しを目にすることで関心の薄いこと、社会で起きているさまざまな事を拾うことができる。

ネットのように、好みのもののみが選択され、選ばれた情報しか目にしないという情報の分断化状況は避けられる。

求められるのは、新聞を読むようにすること、それが難しければ、ネットにおける情報源を多角化するよう努めることである。

 

 第二に必要なことは「考える」ことである。事実の解釈も見方によってバリエーションができる。

たとえばODAによる巨大インフラプロジェクトは、マクロ経済の観点から言えば「大歓迎」となるかもしれない。

しかし、環境保全・周辺住民の視点に立てば「迷惑施設」といった主張となる。

こうした論争は幾多ある。

誰の視点に立つのか、何を価値基準とするのか、いかなる枠組みで事実を解釈しようとするのかを定めないといけない。

たいていの人間はそうしたことをすべて自分で整理できるほどは賢くない。

人から学ぶに如(し)くはなし。その点では「理論」を学ぶことである。

事実をどうみたらよいか、大事なポイントがどこにあるのかを整理したものが「理論」である。

理論は難しいという。確かに理論を論理的に理解するにはそれなりの労力が必要である。

しかし「理論」は現実を整理することを容易にしてくれ、むしろ自分ひとりで考える困難を克服するに手助けをしてくれる。

 

 尤も、大事なのは学んだものを唯々諾々と受け入れるのではなく、それを利用しそれを越えてどのように現実社会に生かしていくのか。そのためには自ら常に考えることを怠ってはいけない。

 

 若者はないない尽くしの自我像を知ったうえで、それでもその強みを生かすために是非とも責任をもって、努力をして、次なる社会を作っていって欲しい。

そして若者よ、世間を見返してほしい。切なる中年男の願いである。

 

2013.2