仕事でマカオを訪れた。

 

 「拿起来(なーちーらい)!」。

配られたカードを物々しくテーブルに押し付け、徐々に角を反返ししながら覗き込むように数字を確認する。

多額のチップをかけている者の目は一点を見つめ爬虫類のような不気味な輝きを放つ。

望みのカードが出れば気合をいれるかのように「「来(らい)!」という掛け声とともに、こぶしでテーブルをたたく。

運命の3枚目のカードが配られ勝負が決する。バカラという人気ゲームらしい。

負けたもののチップは淡々と回収され、勝ったものには賭けた何倍かのチップがなかば投げるように渡される。

負けた客は悔しさを隠していかにも冷静な表情を保って次に期待する。

勝った客は喜びを押し殺した笑みを浮かべチップを持て遊ぶ。

そこにあるは意外にも歓喜怒号ではなく抑制された興奮であった。

鼓動高ぶる客とは対照的にカジノのディーラーは一言も発することなく心ここにあらぬごとき無表情さで粛々とゲームを進める。

 

 現金からチップへの「両替」もその場で行われる。

ゲームの合間に客が無造作に札をテーブルに放り込む。

ディーラーは投げ込まれた札が偽札でないか11枚機械でスキャンしながら、これ見よかしにテーブルに並べ、素早く暗算をしてチップに替える。

札はディーラー右手の「札皿」に乗せられたかと思うと、押し板のようなもので札中央部が勢いよく押し込まれ瞬く間にテーブルに吸い込まれていく。

まるで隠し技である。札はテーブル下に無造作に堆積しているのか、それともパイプを通じて集金所にでも送られているのか。

 

 私が観察している中でされた最も高額な両替は7万香港ドル(約100万円)だった。

蝶ネクタイとタキシードで決め込んだMr ダンディを想像してはいけない。

100万円の両替主は40歳前後、丸刈り、Tシャツといった出で立ちで、街の、いや田舎のどこにでもいそうな中年男性だった。

マカオでカジノに興じる者は男女問わずたいていTシャツや、ラフなブラウスで、セレブの雰囲気どころかよそ行き着とはかけ離れた全く普段の装いである。

中国本土とは地続きなため、大金持ち、小金持ちがバスを仕立てて訪れる観光地となっているようだ。そして多くがカジノで遊んでいく。

 

 配られる3枚のカードの数字の足し算で多いか少ないかを争うバカラでは配布されるカードがほとんどの勝敗を決してしまう。

プレーヤーの力量や技能が反映される余地は少ないように思われる。

こうした運任せのゲームに何万円、何十万円というチップが飛び交い、そして最終的には親(ディーラー)が勝つことになる。

現に、7万ドルを両替したTシャツ田士も最初こそ連勝していたが、ものの1時間でほとんどのチップを失った。「博打は場が食う」という。

瞬時にして多額の金が霧散する。日本でも経済活性化のためにカジノを合法化するか否かで政治論議となっているが、確かに経営側に大金がもたらされるかもしれない。

しかし、一方で労なく儲けた大枚はたいてい瞬時に浪費される。

そのあぶく銭にたかるきわどい商売も繁盛する。犯罪も増える。

実際、マカオでは2人1組の警察官が24時間体制で街のあちこちを巡回している。

 

 マカオの売りはカジノだけではない。

1999年までポルトガルの租借地であったためヨーロッパ風の小島として観光客を惹きつけてきた。

16世紀以来ポルトガルが支配し、マテオ・リッチやフランシスコ・ザビエルなど東アジアのカトリック普及に献身した傑物もこのマカオから出ている。

いまでもイエズス会をはじめとするカトリックの教会はいたるところに存在し、石畳とも調和して洋風の雰囲気を醸し出している。

ポルトガルが総督を派遣し長らく実効支配したためほぼ「植民地」状況にあったが、行政統治権のすべてを掌握していたわけではないので「租借地」という位置づけであった。

租借地の名残はいたるところにみられ、町の表示も公用語たる中国語、ポルトガル語の併記、ケーブルテレビではポルトガル語ニュースやポルトガル語ドラマをも放映している。

本屋にはポルトガル語書籍コーナーがある。

99年返還以来中国に完全返還され、現在では香港同様「特別行政区」として従来の制度慣行を維持しながら中国共産党統治下にはいるという「一国二制度」の実験場となっている。

香港に比べて開発がさほど急速ではなく、昔ながらの猥雑な活気と同時にのんびりした雰囲気とを残している。

ある時点から貿易拠点としての地位を香港にうばわれ、その後、これといった産業も育たなかったことが背景にある。

さらに言えば、18世紀以降衰退する過去の帝国ポルトガルに支配されたことに因するかもしれない。香港は20世紀半ばまで7つの海を制した世界帝国英国に支配されたかの違いかもしれない。

 

 しかし何と言ってもマカオを良くも悪くも活性化したのはカジノである。

いまでは売り上げにおいてラスベガスを凌ぎ世界第一の座を占める。

マカオのカジノ産業は2002年に外資に開放されて以来本格的発展を遂げてきた。

ほんのここ10年の話にすぎない。カジノ産業が本格化してから観光客数も飛躍的に増えた。

2000年に800万人だった観光客は2005年には1900万人まで伸びている。

香港から、中国本土から、さらに日本、中東から、そして世界から、勝つ見込みの少ないゲームで一瞬のスリルを味わうために集まってきた欲望の塊が、大金を落としてゆく。これも経済の一端といえばそうに違いないが、どうにも腑に落ちない。

 

 金融グローバル化の問題が指摘され始めた1990年代頃から、リスクが高く不安定で実態生産に基づかないグローバル経済は「カジノ資本主義」であると批判された。

マカオは文字通りのカジノで回っている街である。

欲望と浮薄、興奮と絶望が渦巻き、それらが人間を支配している。

ディーラー右手の「札皿」に吸い込まれるのは、実は札束なのではなく、人間の欲望なのかもしれない。

否々、人間そのものが、欲望との戦いに敗れた順に地の底に吸い込まれていっているのだろう。

 

 ダンテを地獄にいざなう導師ヴェルギリウスはのたまうた。

 

 「われらはいよいよやってきたのだ、知力の験(げん)を失ってしまったみじめな人々に、きみは見参するだろうと私がきみに告げたその場所へ。」(『神曲』地獄篇第3歌)

 

 ローマ教会をも批判したダンテが行き着いた地獄がマカオだったとは、天竺のお釈迦様も唐土の孔子様も予想だにしなかっただろう。

カジノに集う人間様はダンテが目撃した地獄のあのおぞましさに耐えられるだろうか…。

 

 マカオでいらぬ心配をしてきた。

 

2013.7