PEPUPぼうやたちの学び

 

まんご親父は言った。

「忙しいときほど、寝る間を惜しんででも勉強しなさい。」

 

私たちって本当に忙しい日々を過ごしている。

 

 

本を読んでいたら

スマホの通知がなって、友達からのメッセージに返信しようと思ったら

ちらっと眼に入った就活関係のお知らせ、そろそろ考えないとな~と思いながら

そういえばバイトのシフトを出さなければいけないことに気づいて

大して埋まってもないはずのカレンダーを見ながら、何かあってはいけないからと

予定を開けつつほどほどにシフトを希望して

今週中までにやらなければならない課題を思い出し

目の前の本はこれが終わってから落ち着いて読もうということになり、

かといって課題がそんなに進まないまま、気分転換にとスマホで動画を見ていたら

一日が終わろうとしていた。

 

とくに成し遂げたことはこれといってないはずなのに

疲労感だけはある。

 

 

やらなきゃいけないことはあるはずなのに。

やりたいこともあるはずなのに。

やろうとおもったはずなのに。

 

束の間の休息、「暇な時間」というのはなんだかいけない気がする。

何かはしていないといけない気がする。

そう思って手を付けだしたことは、本当に「今」やるべきことややりたかったことなのか分からない。

 

何をしていたのか、

何を本当はしたいのか

何に時間を使っていたのか

分からない。

そんな自分のことも、よくわからない。

 

ただただ、なんだか急かされているかのような気がする。確かに何かはしていたのだし。

 

そんな時は、

ひたすら「勉強」すると良いのかもしれない。

それはいろんな人に出会いに行ってお話することでもあるだろうし

本を読みふけることだろうし、ただひたすらぼーっとして(いるようで)ひたすら自分の心の中で問いなおすことでもあるだろう。

 

どんなに勉強したからといって

知りたいことのすべてが分かるわけでもないし、知ったことが絶対的に正しいといえるわけでもない。

 

だけど

何が分からないのかを考えるときに自分の知が浮き出てくるのかもしれない

何を分かろうとしているのかを考えるときに自分の関心ごとが浮き出てくるのかもしれない

人のいろんな言葉に触れて、考え方に出会って

新しい自分が現れてくるのかもしれない。

そうして私と私のまわりの関係性いうものが、見えてくるのかもしれない。

 

私たちが渇望している「自分らしさ」とか個性とかって本当は手軽に手に入るものでもなく

一生懸命努力して学ばないと見つからないものなようだ。

 

学生という時間は限られている。だけど人生というのは常に「学び」の連続であろう。

せわしない日常の中でも、

心が亡くなって「忙しい」だけにならないよう、学びは導いてくれるはずだ。

小さな「学び」に気づけるためには、それだけの「ゆとり」も必要だろうが

ものごとをいろんな視点から見て「気づき」を得られるような姿勢がまた「ゆとり」をもたらしてくれる、とも言えるかもしれない。

 

自分から変わろうとしなくても

無意識のうちにでも変わっていってしまう周りの環境の中で

とりわけ今日の激動の時代を「ゆたかに」生きていくために

私たちは学ぶ姿勢を忘れてはならないと思う。

 

 

そんなPEPUPのぼうやたちが

学んできたことの一部をお見せしています。

 

ご覧になってくれた方は

せっかくですので、そこに書かれてある

あーでもない、こーでもないという問いを

いっしょに考えてやってください。

 

その時間があなたの忙しさを拭い去ってくれるようなきっかけになれば、なお幸いです。